今回は,1月31日で陸上競技部を引退した,尾方剛選手に16年間の選手生活を振り返って,インタビューに答えてもらいました。
Q-- 16年間を振り返って,今の気持ちをお聞かせください。 良くここまでやって来れたな,という気持ちです。 入社した頃の中国電力陸上競技部はこれから強くなろうというチームでした。しかし,即戦力として期待されていたにもかかわらず,故障して入社したため,その期待にも応えられず,チームの皆にも迷惑をかけ,精神的にもつらい日々を過ごしました。そのような状態でしたから,ここまで続けられるとは思ってもいませんでした。
Q-- 一番印象に残っている大会は? 自分の思うような結果ではなかったのですが,やはり北京オリンピックが最高の大会ですね。4年に一度しかない大会ですし,なかなか出場できる大会でもありません。また,すべてのスポーツ選手が集まってその頂点を極める大会なので,マスコミの対応も違いました。自分としては,世界選手権の延長だと思って臨んでいたのですが,やはりマスコミとか周りの人は「さもすごいことをやっている」かのような対応をされました。世界選手権でもすごいと思ってくれる人もいるのですが,オリンピックと聞くと,陸上に興味がない人でも「すごいね」と言ってくれる。他の大会とは違う盛り上がりを感じました。
オリンピックを意識し始めたのは,アテネオリンピック(2004年)の選考会の頃からです。自分も行けると信じて打ち込みましたが,落選しました。その時から,4年間で実績を残しオリンピックで勝負するという気持ちで,アテネオリンピック以降は取り組んできました。 駅伝で印象に残っている大会は,2004年のニューイヤー駅伝。中国電力が初優勝した年です。3区を任されましたが,当時3区は外国人区間で日本人にとっては不利な区間。でもここでしっかり走っておかないと,チームが優勝争いに加われないので,やりがいを感じて望みました。そして優勝を狙えるチームでしたので「自分の力どおりに走れば,あとは皆がなんとかしてくれる」,そう信じて走りました。本当に優勝することができてうれしかったです。
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Q-- 尾方選手はきれいなランニングフォームという印象があるのですが,フォームについて教えてください。
世界で戦うために,どうしたら楽に走ることができるか,ということを考えていました。例えば,ケニア人選手はジョギングをしているかのように楽に走っているように見えます。やはりこういう感覚で走らないと,世界でメダルを狙うのは難しい。ケニア人選手と比べると日本人は素質も身体能力も劣るわけですから,それをどう克服していくか。こんなことを考えていました。そのためにも,楽に走る感覚が欲しかったのです。 具体的には,いかにスムーズに足を前に出すか,いかに動作を簡単にするかということになります。これを意識しながら練習したり,自分がうまく使えていない筋肉などを使えるように体操したりしていました。大学の頃からお世話になっているトレーナーと相談しながら,フォームを作り上げていきました。ブレや無駄のないフォームが理想だと思います。「動く歩道」で進むかのような感覚です。足がスムーズに前に出る,流れるような走り,それが自然にできる。それに近づけるようなフォームを模索しながらやってきたつもりです。
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Q-- 多くのマラソン大会に出場されていますが,大会前はどのような心境でしたか。 本格的な練習は大会の3カ月前から始めますが,この3カ月は本当にきつかったです。多いときには月に1,380kmくらい走っていました。楽しみといえば食べることくらい。メンタルな面では,自分はスロースターターで,大会に向け少しずつテンションを高めていくという感じでした。もう少し早めに上がっていてもよかったのかもしれません。魂を燃やすようなテンションの上げ方ができればよかったのですが,これについては,うまくできたことも,できなかったこともありました。それでも2週間前くらいになると「やらなくてはいけない!」とストイックな心境にはなっていました。
Q-- ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。 長い間,応援してくださった方々に感謝しています。皆さまの応援に後押しされ,最後まであきらめず全力で走りきることができました。ありがとうございました。
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