今回は,昨年12月18日の防府読売マラソンでラストランを終えた油谷繁選手に,17年間の選手生活を振り返って,インタビューに答えてもらいました。
Q -- 引退レースを終えた今の気持ちをお聞かせください。 引退レースだったので,もっと元気な姿で走りたかったですね。足の痛みがひかなくて途中棄権という残念な結果になってしまいました。多くの方が引退レースであることを知っておられたようで,沿道からたくさんの温かい声援をいただきました。自分でもできればやめたくはなかったのですが,足の痛みも限界となり,このような結果となってしまいました。 このレースで選手としての第一線を退くこととなりましたが,次の日からはコーチとして新たな気持ちで進み始めたところです。
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Q -- 最も印象に残っている大会は? やはり,アテネオリンピックですね。一番大きな大会で入賞できたといううれしさと,メダルが取れなかったという残念さがありますね。 初マラソンは自分にとっては,いまひとつな成績だったのですが,2回目(2001年3月 びわ湖毎日マラソン)で,7分台で走って世界陸上代表(2001年8月 エドモントン)に選ばれ,マラソンならば日本一にもなれるし,世界一も夢ではないと思うようになりました。 その世界陸上で5位となったことで,この夢は現実的な目標に変わり,狙って臨んだオリンピックでした。
Q -- 陸上選手で良かったと思ったことは? 中国電力に入社し,多くの優秀な選手たちと競い合うことで大きく成長することができました。そして,世界陸上,オリンピックで入賞,ニューイヤー駅伝では優勝もでき,全国を舞台に活躍できたことで,いろんな方との出会いがあり,またメディア等にも取り上げていただき,とても貴重な経験ができました。
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Q -- 油谷選手にとって走ることの魅力は? 陸上競技は,「誰よりも速く,誰よりも高く,誰よりも遠く」ということを目標としているだけなのですが,これを達成するためにはより多くの練習を必要とします。単純ですが,結果を出すという点では難しい競技であると思います。マラソンは特に練習しないと走れない競技で,本番の3ヶ月前から本格的に練習するのですが,それだけの練習はこの1日のためだけのものです。大変で苦しいことではありますが,結果が出るので達成感を得ることができます。 私の場合,トラックレースで結果を出すのは厳しいと思っていたのですが,マラソンであれば日本だけでなく世界も狙えると感じ,マラソンで勝負したいと思うことができました。高校卒業後から基礎となる練習を積み,その土台があったからこそ,うまくマラソンにつながっていったのだと思います。 |
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Q -- コーチとしての今後の抱負をお聞かせください。 中国電力は駅伝をやりながらマラソンでも強くなったチームなので,マラソンでも活躍できる選手を育成していきたいです。世界に出て行ける選手が出てきてほしいと思います。また,チーム力もより強化して,駅伝でも優勝したいですね。 自分がやってきたことをそのまま教えても,必ずしも強くなるとは限らないと思います。選手によって個性やタイプがあるので,いかにその選手に合わせて指導できるかが大切だと思います。同じ練習量であれば同じ結果がでるというわけではないので,選手にあった練習ができるように指導し,結果を残せるようにしたいです。 選手として17年間やってきたことや,世界陸上,オリンピックの経験もあるので,この経験をいい形で伝えることができたらと思います。練習に困ったときなど,うまく導いてあげることができればと思っています。
Q -- ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。 いつもたくさんの応援をいただきありがとうございました。これからはコーチとして皆さんの期待にお応えできるような結果を残したいと思います。しっかり結果を残すことで,一緒に盛り上がれたらと思います。 |
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