中国電力レッドレグリオンズ(中国RR)の坪井秀龍は、昨季限りで現役を引退した。
「もう体が限界だったし、しんどかった。自分の全盛期を過ぎていたし、チームに迷惑かけるのも嫌だったので」。長年、スクラムの強さを武器に体を張って戦ってきたが、引退を決断したいま、プレーすることに未練はない。「やり切りました」。清々しい表情でそう言い切った。
坪井は兄の影響でラグビーを始めた。子供のころから「走るのが嫌い」だったが、それでもラグビーは唯一続いたスポーツだった。
「魅力はバチバチにいけるところじゃないですかね。生身でぶつかり合うし、いろんな体型のやつが活躍できるのは、他のスポーツにはなかなかない。自分なんて特に運動神経がいいわけでもなく、すごいところもないけど、体を張って生き残ってきた。そういうのができる可能性があるところに魅力を感じていた」
20年以上のキャリアの中で、思い出の一つが日本代表だ。エディー・ジョーンズが監督に就任した2012年に初めて選出された。これは中国電力のラグビー史でも初の快挙だった。本人は当時の日本代表コーチとの縁や主力選手の負傷などで「運が良かった」と言いうが、それでも通算2キャップを獲得した。「感慨深かったですね。日本代表になれるのはなかなかない。日本を背負うっていいなと思いました」
坪井は初めて参加した日本代表の活動を、「めちゃくちゃ練習がきつかった。エディーさんが監督になった年で、もう走ってしかいなかった」と苦笑いで振り返る。そんな中で印象に残ったのは、日本代表選手たちの意識の高さだ。
「みんなストイックでしたね。プロ意識がすごい。プロでやってる人だけじゃなかったし、普通にサラリーマンしながらやっている人もいたけど意識は高かった。その当時の中国電力のチームと比べたらレベルは全然違うし、意識の違いがすごかった。体格とかは意外と変わらなかったりもしたけど、取り組む姿勢が違ったし、すごく考えてプレーしているなと思いました」
日本を背負って戦う選手たちの姿勢に、坪井も刺激を受けないわけがなかった。「日本代表から戻ったあとは、めっちゃ動きが良かった。意識が違いましたね。その時の自分は、立ち上がるのがめっちゃ早かった。いつもは遅いけど」と笑いながら回想する。人を変えるのは「意識」なのだ。
坪井は引退後、中国RRのFWコーチに就任し、武器としてきたスクラムの強化を主に担当している。チームの課題でもあるスクラムの指導をする上で大事にしていることは、「意識付け」だ。新シーズンに向けて、少しずつだが、確かな手応えも得ている。
「意識することを明確にして、それに向かって鍛錬している感じ。スクラムはすぐに良くなるもんではないけど、意識を変えるだけで選手たちはもうだいぶ変わってきた。いまはまだあまり試合をしていないけど、意識や取り組み方が変わるだけで、試合でのスクラムに対する気持ちや立ち向かう感じが全然違う。だから、それだけでも成長していってると思う」
長いキャリアで培ってきた経験をコーチとして後輩に注入する日々。坪井の第2のラグビー人生が始まった。
【取材 ミナトコウタ】