ラグビー部 ラグビー部

2023年11月アーカイブ

カークの戦うスイッチ

  • [ 選手日記 ]
  • 2023年11月29日

エドワード・カークが広島に帰ってきた。10月末に行われた中国電力レッドレグリオンズの合宿に初日から参加。チーム合流直後でもキレのある動きでコンディションの良さを見せていた。共同キャプテンの西川太郎は、「みんなの見本なので練習が引き締まる」と歓迎。チームもさらに活気づいてきた。

 カークは昨季終了後の5月にオーストラリアへ一時帰国。母国で約半年間を過ごしたが、のんびりと休暇を楽しんでいたわけではない。友人が運営するボクシングジムで週4日のワークアウトを行い、地元チームのクイーンズランド・レッズでトレーニングに励んだ。さらに、将来のためにレッズや地元の学校でコーチとして活動し、ラグビーの解説の仕事もこなしていたという。

「(オーストラリアには)土曜日に帰国して、月曜日には仕事を始めた。だから休みは1日だけ。毎日、仕事をして、家族との時間を楽しんで、トレーニングもした。すごく忙しかったけど、楽しい時間を過ごせたよ」

画像

 一時帰国中にうれしいニュースもあった。10月に第3子の男の子が誕生。カークは「最高の気分だよ」と満面の笑顔で話す。「妻にとってはとても大変なことだけど、本当によくやってくれた。彼女は本当に素晴らしい。子供たちのことも愛しているし、家族みんなが健康でいてくれることがすべてだ」

 ただ、第3子誕生後すぐに日本へ旅立つことになり、「家族と離れるのはいつだってつらいよ」と父親の顔を見せる。

「家族に会って、ハグをして、父親の生活に戻れるから、家に帰るのはいつも楽しみなんだ。でも、ここ2、3年はコロナウイルスのことがあったし、僕が家を離れるときはいつも子供たちが動揺するからとてもつらい。彼らは僕を支えてくれる存在だから、離れるのはいつも寂しいよ」

 それでも、広島に戻れば、一緒に戦うチームメイトがいる。家族と離れて暮らす難しさは当然あるが、チーム唯一のプロ選手としての自覚がカークを突き動かす。

「もちろん家族が恋しくなる。でも、同時に飛行機の中で『広島に戻るからには自分の仕事をしないといけない』と気持ちを切り替えるのが得意なんだ。ここでコンディションを整えて、いいプレーをして、チームにいい影響を与えて、みんなをサポートしなければいけない。僕は自分の仕事をするためにここにいる。だからこそ、すぐに父親からプロ選手へと切り替えられるんだ」

 母国でしっかりと充電して帰ってきたカーク。広島3年目のシーズンに向けて、戦うスイッチが入った。

取材・文・写真=湊昂大

https://note.com/kotaminato/n/nb68a5e68dee5

2023.10.25 @中国電力坂グラウンド

2023-2024シーズン ファンクラブ新規会員様募集中!!

  • [ 選手日記 ]
  • 2023年11月 7日

いつもご声援いただきありがとうございます。
ただいまレッドレグリオンズでは、2023-2024シーズンのファンクラブ新規会員様を募集しています。
ご入会いただくと、観戦チケットやオリジナルグッズの割引販売をはじめ、会員限定グッズをプレゼントいたします。ぜひファンクラブにご入会いただき、共に盛り上がりましょう!
ファンクラブについては、以下ページから詳細などご確認いただけます。
★ファンクラブページはこちら⇒ https://rrrfc.red/fanclub/

また、前シーズン会員様も契約更新受付中です。ぜひ契約更新していただき、昨シーズンに引続きレッドレグリオンズへの熱いご声援をよろしくお願いします。
★ファンクラブマイページもこちら⇒ https://rrrfc.red/fanclub/
202231027 ファンクラブチラシ表面.jpg

202231027 ファンクラブチラシ裏面.jpg

坪井秀龍、第2のラグビー人生

  • [ 選手日記 ]
  • 2023年11月 7日

中国電力レッドレグリオンズ(中国RR)の坪井秀龍は、昨季限りで現役を引退した。

「もう体が限界だったし、しんどかった。自分の全盛期を過ぎていたし、チームに迷惑かけるのも嫌だったので」。長年、スクラムの強さを武器に体を張って戦ってきたが、引退を決断したいま、プレーすることに未練はない。「やり切りました」。清々しい表情でそう言い切った。

坪井は兄の影響でラグビーを始めた。子供のころから「走るのが嫌い」だったが、それでもラグビーは唯一続いたスポーツだった。

「魅力はバチバチにいけるところじゃないですかね。生身でぶつかり合うし、いろんな体型のやつが活躍できるのは、他のスポーツにはなかなかない。自分なんて特に運動神経がいいわけでもなく、すごいところもないけど、体を張って生き残ってきた。そういうのができる可能性があるところに魅力を感じていた」

画像

20年以上のキャリアの中で、思い出の一つが日本代表だ。エディー・ジョーンズが監督に就任した2012年に初めて選出された。これは中国電力のラグビー史でも初の快挙だった。本人は当時の日本代表コーチとの縁や主力選手の負傷などで「運が良かった」と言いうが、それでも通算2キャップを獲得した。「感慨深かったですね。日本代表になれるのはなかなかない。日本を背負うっていいなと思いました」

坪井は初めて参加した日本代表の活動を、「めちゃくちゃ練習がきつかった。エディーさんが監督になった年で、もう走ってしかいなかった」と苦笑いで振り返る。そんな中で印象に残ったのは、日本代表選手たちの意識の高さだ。

「みんなストイックでしたね。プロ意識がすごい。プロでやってる人だけじゃなかったし、普通にサラリーマンしながらやっている人もいたけど意識は高かった。その当時の中国電力のチームと比べたらレベルは全然違うし、意識の違いがすごかった。体格とかは意外と変わらなかったりもしたけど、取り組む姿勢が違ったし、すごく考えてプレーしているなと思いました」

日本を背負って戦う選手たちの姿勢に、坪井も刺激を受けないわけがなかった。「日本代表から戻ったあとは、めっちゃ動きが良かった。意識が違いましたね。その時の自分は、立ち上がるのがめっちゃ早かった。いつもは遅いけど」と笑いながら回想する。人を変えるのは「意識」なのだ。

画像

坪井は引退後、中国RRのFWコーチに就任し、武器としてきたスクラムの強化を主に担当している。チームの課題でもあるスクラムの指導をする上で大事にしていることは、「意識付け」だ。新シーズンに向けて、少しずつだが、確かな手応えも得ている。

「意識することを明確にして、それに向かって鍛錬している感じ。スクラムはすぐに良くなるもんではないけど、意識を変えるだけで選手たちはもうだいぶ変わってきた。いまはまだあまり試合をしていないけど、意識や取り組み方が変わるだけで、試合でのスクラムに対する気持ちや立ち向かう感じが全然違う。だから、それだけでも成長していってると思う」

長いキャリアで培ってきた経験をコーチとして後輩に注入する日々。坪井の第2のラグビー人生が始まった。

【取材 ミナトコウタ】

選手紹介